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すすき

薄①1枚目

オニユリの写真についてのコメントで、「重ね色目の『百合重ね』がヤマユリの白のイメージと違う」というお話しがございました。

『胡曹抄』(一條兼良・室町後期)
ゆりのきぬ 表赤、裏朽葉。<此衣いたく近代不用>。

表が赤で裏が朽葉(オレンジ)。これはオニユリの色彩を表しているのですね。このように、植物は現代のイメージだけで語ってはいけないのです。
私が、一般に最も理解が難しいであろうと思うのが、「すすき重ね」です。あの「枯れ薄」のススキ(芒、薄、学名:Miscanthus sinensis)でございます。秋の七草にも入っていますが、そもそも「ススキって花なの?」と思われるでしょう。しかし重ね色目の「薄(すすき)重ね」を御覧下さい。

『満佐須計装束抄』(源雅亮・平安末期)
薄(すゝき)。蘇芳の濃き薄き三。青き濃き薄き白単。青キヲ上ニ重ネテ。ナカ□□アリテ。下ニ蘇芳単□□匂ヒテ。ヤガテ蘇芳単ト思ハ僻事ニヤ。

春の「もちつつじ」と同じ、蘇芳色(えんじ色)と緑の組み合わせ。「どうしてこれがススキなの?」と思われることでしょう。しかし平安時代のススキの穂は蘇芳色がポピュラーだったのです。

『枕草子』
草の花は 撫子、唐のはさらなり。大和のもいとめでたし。(中略)これに薄(すすき)を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂先の蘇芳にいと濃きが、朝露にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋のはてぞ、いと見どころなき。色々にみだれ咲きたりし花の、かたちもなく散りたるに、冬の末まで、かしらのいとしろくおほどれたるも知らず、昔思ひ出顔に、風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。

<超訳>
(草の花といったら、まずナデシコよ。唐撫子は本当に美しいけど、大和撫子だってとっても素敵よね。(中略)この段に、ススキを入れないのは変だ、っていう人もいるらしいわね。たしかに、秋の野原一面に拡がるススキの原は見事よ。穂先が濃い蘇芳色のススキが朝霧に濡れてなびいている姿なんか、これに優る美しさは無いっていう程。……でも、でもね。秋も終わりの姿はもう見る影もないわ。色々に咲き乱れていた花が跡方もなく散り果てた後、ススキだけは冬が終わる頃まで、頭の真っ白になっちゃったのも知らないで、昔の華やかな思い出に浸って風にそよいでいる姿は、まるで人間のように思えるの。そういう風に考えちゃうからこそ、ものの哀れは深まるのかも知れないわね。)

枯れてしまった後は今と同じようなイメージですが、若い頃は「穂先の蘇芳にいと濃き」だったのですね~。ススキはイネ科ですが、平安時代の稲穂もやはり蘇芳色だったようです。

『枕草子』
八月つごもり、太秦に詣づとて見れば、穂にいでたる田を人いと多く見さわぐは、稲刈るなりけり。早苗取りしかいつのまに、まことにさいつころ賀茂へ詣づとて見しが、あはれにもなりにけるかな。これは男どもの、いと赤き稲の本ぞ青きを持たりて刈る。何にかあらむして本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに見ゆるや。

<超訳>
(八月の末日だったっけ。太秦の広隆寺にお参りする道すがら、稲穂の実った田んぼに大勢の人が集まってワイワイやってるから何かと見れば、稲刈りだったのね。ついこの間、賀茂神社にお参りした時は田植えを見たわよ。それがもう、稲刈りの季節になってたのね。時の流れは速いなぁって、しみじみしちゃった。 この田んぼの稲刈りは、男だけでやってる。穂が真っ赤に色づいた稲の、青い根元を持って刈り取るのね。鎌か何かでサクサクと、いとも簡単に刈り取ってるのを見てたら、私もやってみたくなっちゃったわ。)

「いと赤き稲」とあります。
今でも山野では、わずかながらも赤い穂のススキを見ることも出来ます。植物の色は昔も今も変わらないと言う事で、古代の色彩を探るヒントになりますが、こういう思わぬ落とし穴に気をつけなければなりません。
余談。早稲田大学のマークは稲穂。スクールカラーはえんじ色(蘇芳)。これって偶然?(偶然です・笑)。
写真は赤い穂のススキと、『満佐須計装束抄』の薄重ね。

(有職故実研究家 八條忠基さん Facebook投稿より)