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薄②

薄②1枚目

「ススキって花なの?」と思われるでしょう。そして「ススキって地味ぃ~」と見られがちですが、

『満佐須計装束抄』(源雅亮・平安末期)
薄(すゝき)。
蘇芳の濃き薄き三。青き濃き薄き白単。
青キヲ上ニ重ネテ。ナカ□□アリテ。下ニ蘇芳単□□匂ヒテ。ヤガテ蘇芳単ト思ハ僻事ニヤ。

女房装束の重ね色目にも登場するススキは、赤い花穂を見れば「花」とわかりますね。平安時代は稲も赤米が主流だったようですが、ススキも赤花がポピュラーであったのかも知れません。それならば、「秋の七草」に入ったことも納得できるのでは無いでしょうか。
昔から日本人はススキの風情を愛しました。その魅力は、いくつかのキーワードで分類できそうです。

『古今六帖』(和泉式部)
なよ竹に 枝さしかはす しのすすき
よませに見えむ 君は頼まじ

なかなか読み解くのが難しい歌です。これについての鎌倉時代の解説を見ますと……

『紫明抄』
播州か説にいはく荻に枝なしと云々、すゝきにえたあり、又夕かほに枝あり、あに朝顔に枝なからんや、

「オギに枝無し・ススキに枝有り」と書いてありますが、そうなんですかね。ともあれ、この歌でのススキは「ナヨナヨ頼りない」イメージ。

『とりかえばや物語』
御髪は丈に七八寸ばかりあまりたれば、花薄の穂に出たる秋のけしきをおぼえて、裾つきのなよなよとなびきかゝりつゝ

これも「なよなよ」ですね。次に実用的?なススキ。

『源氏物語』(藤裏葉)
前栽どもなど、小さき木どもなりしも、いとしげき蔭となり、一叢薄も心にまかせて乱れたりける、つくろはせたまふ。

『源氏物語』(柏木)
前栽に心入れてつくろひたまひしも、心にまかせて茂りあひ、 一叢薄も頼もしげに広ごりて、虫の音添へむ秋思ひやらるるより、いとものあはれに露けくて、分け入りたまふ。

ススキは河原に行けば勝手に幾らでも自生しているイメージですが、『源氏物語』の記述では、庭にわざわざ植えているみたいですね。これらの記述には元ネタがあるのです。

『古今和歌集』(三春有助)
君が植ゑし 一叢薄 虫の音
しげき野辺とも なりにけるかな

「君が植し」ですから、まさにわざわざ植えたわけです。「一叢」は「ひとむら」。ある程度まとめて植えたのですね。文章をそのまま解釈すると、鈴虫の住みかとして植えているようにも思えます。なんとなく納得です。

『源氏物語』(宿木)
枯れ枯れなる前栽の中に、尾花の、ものよりことにて手をさし出で招くがをかしく見ゆるに、まだ穂に出でさしたるも、露を貫きとむる玉の緒、はかなげにうちなびきたるなど、例のことなれど、夕風なほあはれなるころなりかし。
穂に出でぬ もの思ふらし篠薄
招く袂の 露しげくして

『堤中納言物語』(はなだの女御)
「さて、斎宮をば、何とか定め聞え給ふ。」
と言へば、小命婦の君、
「をかしきは皆取られ奉りぬれば、さむばれ、『軒端の山菅』に聞えむ。まことや、まろが見奉る帥の宮のうへをば、芭蕉葉ばせをばときこえむ。」
よめの君、
「中務の宮のうへをば、『まねく尾花』と聞えむ。」

どうやら、赤い花が咲いている状態を「薄(すすき)」、白い穂になっている状態を「尾花(おばな)」と使い分けているみたいですね。確かにススキの穂は馬の尾に似ています。その尾花は、あたかも手で招いているようにも見えますから、「招く」というキーワードで表される描写です。
どうでしょう。

「頼りなく・なびく・招く」
平安の男子から見て、なかなかに魅力的な風情なのではないでしょうか。武蔵野のススキ描写は荒涼とした風情の象徴でした。『昭和枯れすすき』的世界(笑)。しかし平安の情緒は、それだけをススキに見たわけではないのですね。そうでなければススキの重ね色目なんて考えませんでしょう。
写真は赤花のススキ、そして『満佐須計装束抄』の「薄」重ね。

(有職故実研究家 八條忠基さん Facebook投稿より)