武家の少年の小武装で、父正成と別れを告げる楠木正行になぞらえた。
髪は下髪で背後を丈長で括っている。水干(形は狩衣に似ているが、頸かみには二本の紐がつけられ、縫い目に生糸の菊綴が背後に四ケ所、胸に一ケ所、各二ケずつつけられている。狩衣より下級者または童子に用いられた)を着け括袴(前に二ケ所、両脇(相引)に一ケ所ずつ合計四ケ所、二ケずつの菊綴がつけられている)に革足袋、その上に腹巻という鎧を着ている。腹巻は単に胴部のみを掩護し、背後の防衛を考慮しないので、その名がある。元来形も小さく合わせ目が背の中央にあり、胴丸をさらに簡略化したものである。しかし後には背後を掩う装具がつくられ、これを背板といい、また臆病板とも呼ばれた。
また、袖や兜をつけるようにもなり、室町時代には盛んに用いられた。
上腹巻をつけた武家童子
Warrior’s son in uwa-haramaki armor.