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神楽東遊あずまあそび 舞人青摺袍姿まいびとあおずりほうすがた

A dancer in aozuri (printed by green color) uniform, who play Shinto dance Azumaasobi.

  • 神楽・東遊 舞人青摺袍姿1枚目
  • 神楽・東遊 舞人青摺袍姿2枚目

楽が唐、高麗の楽により宮廷における宴楽として発達し華美な所があるのに対し、神楽は奈良朝以来の唐楽等の長所をとり入れて、神聖にして格調の高き、高貴にして直截簡明な精神美を求めたもので、人長舞、久米舞、東遊などがある。
この東遊は東国地方の風俗舞であり、一説には安閑天皇の頃(6世紀)、駿河国の有度浜に天女が舞い降りたさまを国人道守が作ったと言われている。
宇多天皇の寛平元年11月賀茂の臨時祭の時に初めて用いられてから、神事舞として諸社の祭典に奏されるようになった。
曲は一歌、二歌、駿河歌、求子もとめご歌、大比礼おおひれ歌からなる一大歌舞組曲で、京都の葵祭で奏されるのが有名である。舞人六人、拍子歌方数人、和琴わごん篳篥ひちりき高麗笛こまぶえの編成で、舞は駿河舞と求子舞の二つで、動きの少ない上品な舞と云える。
舞人の装束は巻纓の冠に挿頭をつけ(歌方、楽人は垂)、桐竹の立木、雉子、根笹の模様のある青摺の身幅一幅闕腋袍を着用する。本来は布であったが近世は生精好が用いられている。
更にその下には下襲をつけをひき忘緒をつけ、半臂、単を重ねる。
は、近世は表白生精好、裏赤の表袴うえのはかま仕立で、舞人用には五七桐、雉子の雌雄が青摺りされている。歌方には青摺りはない。
石帯は六位相当の犀角の通用帯、濃紺の平緒で、黒漆六位の太刀をつける。足には糸鞋をはく。
青摺は清浄な物忌みの服で、白に山藍で、その用途により異なるが草木蝶鳥などの文様を型で摺り染にする。このは肩に赤紐をつけるのを特色とし、古事記、仁徳天皇の段、また雄略天皇の段にこの事が記されている。
弘仁以降は神事における神職でない一般官人の特定の斎服となり、大嘗祭、新嘗祭奉仕の小忌の職員の標として用いられるので小忌衣おみごろもといわれ、その形式は種々異なっているが、神楽の東遊奉仕の舞人や楽人も闕腋袍形式の小忌衣をつけるのを例とし、他の官人の私の小忌と異なり身幅一幅であり、これを一般に青摺といった。
赤紐は小忌が右肩につけるのに対し、舞人は左肩につけるのを特色とした。これは右袖を脱ぐことを考慮したものと考えられる。
赤紐は赤とこきの二条からなる。近世は濃を黒に変えるのが例となり、表面に蝶鳥文様を胡粉で散らし、肩から二つに折って前後に垂らす。

イラストによる解説

イラスト1
  1. 巻纓けんえいかんむり
  2. 挿頭華かざし
  3. おいかけ
  4. 青摺あおずり小忌衣おみごろも
  5. 帖紙たとう
  6. 平緒ひらお
  7. 表袴うえのはかま
  8. 糸鞋しかい
  9. 細剣ほそだち
  10. しゃく
  11. 石帯せきたい
  12. 小忌衣おみごろも
  13. 下襲したがさねきょ