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平安時代へいあんじだい

平安時代(へいあんじだい、794年 - 1185年/1192年頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立(平氏政権で一時期福原京が造営された)するまで政治上唯一の中心であったことから、平安時代と称する。

Wikipediaより引用

平安時代の衣裳

  • 男性の衣裳
  • 女性の衣裳
  • 僧侶の衣裳

平安時代時代の天皇

御代天皇御号在位皇宮備考
50 桓武かんむ天皇 781~806 平城京長岡京平安京
51 平城へいぜい天皇 806~809 平安京
52 嵯峨さが天皇 809~823 大内裏
53 淳和じゅんな天皇 823~833 平安京
54 仁明にんみょう天皇 833~850
55 文徳もんとく天皇 850~858 平安宮
56 清和せいわ天皇 858~876 大内裏
57 陽成ようぜい天皇 876~884 平安京
58 光孝こうこう天皇 884~887
59 宇多うだ天皇 887~897 平安京
60 醍醐だいご天皇 897~930 平安京
61 朱雀すざく天皇 930~946 大内裏
62 村上むらかみ天皇 946~967 平安宮
63 冷泉れいぜい天皇 967~969 大内裏
64 円融えんゆう天皇 969~984
65 花山かざん天皇 984~986
66 一条いちじょう天皇 986~1011 一条院・東三条院・枇杷殿
67 三条さんじょう天皇 1011~1016
68 後一条ごいちじょう天皇 1016~1036
69 後朱雀ごすざく天皇 1036~1045 東三条殿
70 後冷泉れいぜい天皇 1045~1068 高陽院
71 後三条ごさんじょう天皇 1068~1073
72 白河しらかわ天皇 1073~1087
73 堀河ほりかわ天皇 1087~1107
74 鳥羽とば天皇 1107~1123
75 崇徳すとく天皇 1123~1142
76 近衛このえ天皇 1142~1155 近衛殿
77 後白河ごしらかわ天皇 1155~1158
78 二条にじょう天皇 1158~1165
79 六条ろくじょう天皇 1165~1168
80 高倉たかくら天皇 1168~1180 閑院・五条東洞院殿など
81 安徳あんとく天皇 1180~1185 大内裏福原宮

平安京とは

かつての平城京の時代は、「青丹あおによし奈良の都」と謳われた栄華とは裏腹に、政権の内部では血で血を洗う権力抗争が繰り返されていた。桓武天皇自身が皇位を射止めることができたのも、義母の皇后・井上内親王とその子の皇太子・他戸親王を失脚させるという謀計あってのことだったのである。長岡京に遷ってからもそうした犠牲は後を絶たなかった。天皇の寵臣が暗殺され、その罪を問われる形で天皇の実弟である皇太弟・早良親王が無惨な死に追いやられた。その後、天皇の周囲には早良親王の怨霊の影が色濃くまとわりつくことになる。

桓武天皇はおそらく、長岡京を捨てて新しい都を造ることによって、こうした暗い影を一掃することを狙ったのであろう。この新しい都は、「平安京」と名づけられた。それまでの都の名称は全てその場所の地名を採っていた(たとえば、山背国乙訓郡おとくにぐん長岡村に造られたから「長岡京」と呼ばれた)。それに比べると、「平安京」という名称には桓武天皇の深い想いがこめられているといわなければならない。天皇のみならず万民にとって、平安京は永遠の平和を願う都であるという願いが込められていたのである。

京都の町といえば、整然とした碁ご盤ばんの目状の街並みであることで知られている。つまり、道路のほとんどは東西南北に直交しており、斜めに走る道は例外的なのである。これは、平安京の都市区画が今もなお京都の街並みの基本を形づくっていることによる。

ただ、現在の道路と平安京の街路を比べると、その規模はまったく違う。平安京のメイン・ストリートである朱雀大路すざくおおじは幅二八丈(約84m)の広大さを誇っていたが、現在の千本通は広いところでも25m程度、狭いところではせいぜい6mくらいしかない。逆に、平安京の烏丸小路は幅四丈(約12m)であったが、現在の烏丸通は倍以上に広がっている。一見すると何気なく見える道の幅にも、一二〇〇年におよぶ京都の歴史の厚みが現れているのである。

世界の様子

地図で見る世界史情勢

引用:世界地図で見る世界史