昭和9年5月30日、日露戦争の日本海海戦で日本を勝利に導いた元帥海軍大将正二位大勲位功一級侯爵東郷平八郎が亡くなります。その功績に対して昭和天皇は東郷平八郎へ従一位への昇位と国葬を下賜されました。
大正15年に定められた国葬令には、国葬は①「天皇皇后皇太后太皇太后」、②「皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃及摂政タル親王内親王王女王」の葬儀に加え、③「國家ニ偉勲アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ國喪ヲ賜フ」とありました。
6月5日、日比谷公園で執行された国葬では陸海軍の軍楽隊の他、近衛師団所属の歩兵第三第四連隊・騎兵一個連隊・野砲兵一中隊、第一師団所属の歩兵第一連隊・騎兵一中隊、野砲兵第一連隊等合計5,000名より編成された大部隊が儀仗隊として参列、これに海外からの儀仗隊も加わり、砲車に乗せられた東郷平八郎の霊柩の葬列は全長約1.5キロ、沿道の見送りには約70万人が集まるという、まさに国を挙げての葬儀となりました。
儀式は神式で行われ、当日は司祭長と司祭副長は冠無紋巻纓・袍単白色平絹・奴袴鈍色平絹に笏を持ち烏皮履(鈍色絹敷)を履くという衣冠単を、司祭は風折烏帽子(艶消)・扇・烏皮履(鈍色絹敷)を履く狩衣(白色平絹)を身に着け、儀式によって藁沓や浅沓を使い分けました。
喪主は東郷平八郎の子息が務め、近親者で最も重い喪に服すため冠無紋巻纓・袍黒橡布・単鈍色布・奴袴鈍色布の衣冠単に白麻布の素服を加え、笏の代わりに右手には鈍色黒骨の扇に藁沓を履き、そして左手には桐杖を持ちました。この杖は喪杖という古代中国の葬礼での風習を取り入れたもので、故人の近親者が持つものでした。また喪主の夫人は黒橡布の袿に萱草色の袴を、男児は鈍色布の半尻、女児は鈍色布の細長に萱草色の袴を付けました。
凶事に用いる装束は故人との関係性で生地や色目を変化させるほか、翌日の祭儀から司祭長と司祭副長の奴袴を鈍色平絹から白色平絹に変えるなど、服喪の期間が短くなるに従い通常の装束に近づけていきます。
本資料は東郷平八郎の国葬に用いた装束の生地と色の見本です。


冠無紋巻纓・袍単白色平絹・奴袴鈍色平絹の冠無紋巻纓・袍単白色平絹・奴袴鈍色平絹の衣冠単
(国立映画アーカイブ『東郷元帥國葬の實況』より)

近親者で最も重い喪に服すため冠無紋巻纓・袍黒橡布・単鈍色布・奴袴鈍色布の衣冠単に白麻布の素服
(国立映画アーカイブ『東郷元帥國葬の實況』より)

夫人:黒橡布の袿に萱草色の袴、男児:鈍色布の半尻、女児は鈍色布の細長に萱草色の袴
(国立映画アーカイブ『東郷元帥國葬の實況』より)
