艶消しの黒漆が塗られた上に胡粉で五つの雲が描かれた楯や、雲形が織り込まれている黄色白色の生地は国葬等の葬儀の際に用いられたものと思われます。
戦前の国葬令では葬儀は神式で行われ、祭場には鉾や楯、幡と呼ばれる幟や大きな真榊が飾られました。
特に天皇の葬儀である大喪儀では他にも太陽と月を表わした白色と黄色の纛幡、胡簶(矢)と弓、御饌櫃・御幣櫃と呼ばれる供物を納めた唐櫃が加わります。
それらの品々は、天皇崩御後直ちに宮内省より各専門の御用商に下命があり、大正天皇の御大喪では当時の雑誌に
高田裝束店では、宮内省式部職や調度課と打合せ、御大喪に奉仕する、総裁宮を始め奉り、長官、宮内大臣の外、事務官が約六十名、高等祭官約二十名、御轜車に随従する高等官約三十名、判任官約五十名、松明その他武具物具を捧持する者約百名、樂師十三名、牛飼九名といふ多數の服装調整が先で、 ―中 略― 更に御調度品として主なる日像、月像纛幡、各一流(日像を左に、月像を右、幅二尺一寸、長さ一丈二尺、日像は黄色雲形浮織錦地に金色の日輪を現はし、月像は白地の同様錦地に銀色の月輪を表はす)、黄幡、白幡各五旒(黄色、白色、浮織錦地、各幅二尺一寸、長さ一丈)」 ―中 略― その他武具、物具には ―中 略― 胡簶五對、御弓五對は東京渡邊力雄氏に、楯五對、桙五對は高田茂裝束店に古劍三十七柄は東京小松崎茂助氏に云々
(昭和二年三月十日発行アサヒグラフ臨時増刊)
など寸法や製作者等、その詳細が記されています。
葬列は大正天皇の霊柩を載せた四頭の牛に曳かれる轜車を中心に、装束を着けた祭官・楽師・側近奉仕者の他、軍楽隊や儀仗隊、文武百官奉送員約3千人の御供を従え全長6キロメートルにもおよびました。
昭和天皇の大喪の礼では、葬場や葬列の規模が縮小され、霊柩を乗せる轜車も牛車から自動車に変更し、葬列に加えられていた武具も攻撃的で平和憲法にそぐわないとの理由から胡簶と弓が取り除かれ、鉾と楯の数も各々2対と変更されました。






