
天羽衣は天皇が大嘗祭を行うに当たり廻立殿に於いて潔斎をする際に用いられる着物でいわゆる湯帷子(浴衣)に当たります。
天皇は御所に於いて予め大忌御湯を召されてから廻立殿に渡御になり、ここで改めて小忌御湯を召される最も厳重な潔斎が行われました。
廻立殿は東西二部屋からなり、西の間の中央には白縁の畳が8帖敷かれ、その上に繧繝縁の厚畳2帖を敷いて御座とし、南側には御冠や御祭服の他、天羽衣や御明衣が置かれ、ここで着替えが行われました。東の間の御湯殿には御湯槽が置かれ、この浴槽には廻立殿の西にある釜殿で沸かした御湯が張られ波絹で覆われました。
天皇は天羽衣を着たまま浴槽に入り、その中に衣を脱ぎ捨てて浴槽をお出になります。その後、湯上り着である御明衣で身を拭われてから御祭服を着用されました。

天皇が着たまま入浴し浴槽の中で脱ぎ変える湯帷子については、室町時代に一条兼良が記した『江次第抄』(平安時代の儀式書『江家次第』の解説書)の神今食(大嘗祭・新嘗祭と同様の儀式)の説明に「主上著御天羽衣御湯帷也縫殿寮所献下御御槽先以御湯向神殿方七度灑之次三杓令御即脱羽衣於槽中更著内蔵寮所献之御湯帷自槽登給」とあることから、平安時代から用いられていたことがうかがえます。
明治天皇は慶応4年(明治元年)京都御所に於いて即位式を挙げられましたが、大嘗祭は世情不安等の理由から延期され、明治4年になって旧江戸城の吹上御苑に大嘗宮が建てられ史上初めて東京で行われました。
この資料はその際に調進された天羽衣の寸法と裂地です。「二領」と書かれているのは悠紀殿の儀・主基殿の儀でその都度小忌御湯を召させられるためです。
