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桔梗

桔梗1枚目

『万葉集』で「朝皃之花」(朝顔の花)とされている花は、キキョウだとする説が一般的です。

現在でいうところのアサガオは漢方薬として輸入されたもの。種子が猛烈な下剤なのです。いつ日本に来たのかは諸説ありますが、奈良時代のアサガオが桔梗であったところに、現在のアサガオが平安時代に輸入され、桔梗はキキョウとして区別されるようになった、とも言われます。

『和名類聚抄』(源順・平安中期)
桔梗 本草云桔梗<結鯁二音。和名、阿里乃比布木>。

「キキョウ」は、桔梗の中国発音(呉音)である「ケチキョウ」から来たもので、和名は「アリノヒフキ」。この由来には諸説有りますが、花びらにアリがたかりますと、蟻酸で花が赤くなるので「蟻の火吹き」だとする説が有力です。
平安時代には勿論、その色彩が愛されて重ね色目になっています。

『物具装束鈔』(花山院忠定・室町後期)
桔梗狩衣。面二藍、裏青。五六月着之。

いかにも桔梗そのものの風情を表現した色彩ですが、「五六月着之」とあって、夏でもやや早い時期に着る色、とされていますね。

『栄花物語』(おむがく)
衣の褄などのうち出し渡したる見るに、目耀きて何とも見別き難く、そが中にも、紅・撫子などの引倍木どもの耀き渡れるに、桔梗・女郎花・萩・朽葉・草の香などの織物・薄物に……

これは治安二(1022)年七月十四日の法成寺金堂・落慶供養での光景。ここでは秋の草と並んでいますから、まさに秋の色ということになります。
桔梗について、また別の話題を。
男子で最も格の高い「束帯」装束のとき、「袍(ほう)」(上着)の下に、「下襲(したがさね)」というものを着ます。

『満佐須計装束抄』(源雅亮・平安末期)
夏は上達部赤色の下襲。殿上人二藍。(原文仮名書き)

とあるように、夏の場合、三位以上の高位の公卿は赤色で菱文様ですが、四位以下は二藍(薄紫)で無文がルールでした。しかし何事にも例外は多々あります。

『助無智秘抄』(作者未詳・平安末期)
六七月ヨリアツキニハ。(中略)桔梗下重トテ。公卿モ殿上人ノヤウニフタアヰナル無文ノ下重ヲ着事アルベシ。

とあります。公卿が四位以下の下襲を「これは桔梗の下襲だぜ~」と称して着ることがあったのですね。やはり夏は赤色より二藍のほうが涼しく見えますからね!
ひとつのルールだけの知識を以て、異なる表現を「それは違う!」と強く言ってはいけない、ということが、この例からも判りますね。「有職故実は勉強すればするほど謙虚になる」と申し上げたいのは、こういうことです。

写真は先日上洛しましたおりの、広隆寺のキキョウと、「桔梗」重ねです。

(有職故実研究家 八條忠基さん Facebook投稿より)