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鎌倉時代かまくらじだい

鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。

Wikipediaより引用

鎌倉時代の衣裳

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  • 女性の衣裳
  • 僧侶の衣裳

鎌倉時代の天皇

御代天皇御号在位皇宮備考
82 後鳥羽ごとば天皇 1183~1198 平安京・閑院・大炊御門殿
83 土御門つちみかど天皇 1198~1210
84 順徳じゅんとく天皇 1210~1221 平安宮三条坊門殿・大炊御門殿など
85 仲恭ちゅうきょう天皇 1221
86 後堀河ごほりかわ天皇 1221~1232 京都御所
87 四条しじょう天皇 1232~1242 閑院・冷泉万里小路殿
88 後嵯峨ごさが天皇 1242~1246
89 後深草ごふかくさ天皇 1246~1260 冷泉富小路殿・閑院・冷泉万里小路殿
90 亀山かめやま天皇 1260~1274
91 後宇多ごうだ天皇 1274~1287
92 伏見ふしみ天皇 1287~1298
93 後伏見ごふしみ天皇 1298~1301
94 後二条ごにじょう天皇 1301~1308 二条富小路内裏
95 花園はなぞの天皇 1308~1318
96 後醍醐ごだいご天皇 1318~1339 二条富小路内裏・吉野行宮

鎌倉幕府とは

鎌倉幕府は1185年に源頼朝が鎌倉(現在の神奈川県)で始めた武士の政権です。 同幕府の約150年間を鎌倉時代と呼び、源頼朝を創設者とし、北条時政・北条義時ら坂東武士が鎌倉に設立した幕府である。武家政権による国政は室町幕府・江戸幕府へと継承された。頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、その後は義時の嫡流である得宗家が同幕府の支配者となった。
源頼朝は武家政権の成立を明確に宣言したわけではないこともあり、後世の研究家の間に鎌倉幕府の成立時期について論議を生んだ。幕府の成立時期については諸説あり、その理由としては、鎌倉幕府がその武家政権としての体制を整えるまでにはいくつかの段階を経ていることがあげられる(後述)。まず1180年(治承4年)に鎌倉の大倉郷に頼朝の邸となる大倉御所が置かれ、また幕府の統治機構の原型ともいうべき侍所が設置されて武家政権の実態が形成された。朝廷は寿永二年十月宣旨(1183年)で頼朝に対し、東国における荘園・公領からの官物・年貢納入を保証させると同時に、頼朝による東国支配権を公認した。文治の勅許(1185年)では頼朝へ、与えられた諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可した。そして1190年(建久元年)頼朝が権大納言兼右近衛大将に任じられ、公卿に列し荘園領主の家政機関たる政所開設の権を得たことで、いわば統治機構としての合法性を帯びるようになり、さらに征夷大将軍の宣下(1192年)がなされた。特に、壇ノ浦の戦い(1185年)で平氏を滅ぼしたことは決定的であった。こうして鎌倉幕府は鎌倉時代を通じて名実ともに武家政権として成立することとなった。守護の設置で諸国の治安維持を幕府は担当したものの、その支配は限定的であったが次第に範囲を拡大し承久の乱や元寇を経て、得宗家の専制支配が全国的な支配権を確立するに至った。
しかし第16代執権の北条守時の治世に、彼の妹・赤橋登子の婿足利尊氏が裏切り、六波羅探題を攻め落とす。これが発端となり、1333年に新田義貞らの軍が鎌倉に攻め入り、幕府は滅ぼされて幕を閉じた。
鎌倉期の足利家は6代中4代が北条氏正室所生の当主であったことに加え、足利尊氏が開いた室町幕府では、赤橋登子の産んだ足利義詮が室町幕府2代将軍となり、北条家の血脈は室町幕府にも受け継がれた。

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