広義では「室町幕府が存在した時代」に当たり、足利尊氏が建武式目を制定した1336年(南朝:延元元年/北朝:建武3年)または征夷大将軍に補任された1338年(延元3年/建武5年)から、15代将軍義昭が織田信長によって京都から追放される1573年(元亀4年)までの237年間、もしくは235年間を指す。学校教育においては、1338年を室町時代の開始としている。
室町時代は、鎌倉時代以前には見られない出自不明の農民・商人層の社会進出を可能とし、日本史上初めて顔が見える民衆を登場させた時代でもある。旧勢力の没落と新勢力の興隆の時代として捉えることができる(→下克上)。戦乱が続く時代だったが、経済面においては農業・工業ともに技術が向上し、生産も増大、内外の流通が盛んになった。文化面の充実も著しい時期である。
室町時代の衣裳
- 男性の衣裳
- 女性の衣裳
- 僧侶の衣裳
室町時代の天皇
御代 | 天皇御号 | 在位 | 皇宮 | 備考 |
---|---|---|---|---|
96 | 後醍醐天皇 | 1318~1339 | 二条富小路内裏・吉野行宮 | (南1) |
97 | 後村上天皇 | 1339~1368 | 吉野行宮・賀名生行宮・男山八幡行宮・金剛寺行宮・観心寺行宮・住吉行宮 | (南2) |
98 | 長慶天皇 | 1368~1383 | 住吉行宮・吉野行宮・天野行宮・栄山寺行宮 | (南3) |
99 | 後亀山天皇 | 1383~1392 | 栄山寺行宮・吉野行宮 | (南4) |
北1 | 光厳天皇 | 1331~1333 | 京都御所 | |
北2 | 光明天皇 | 1336~1348 | 土御門東洞院殿(現在の京都御所) | |
北3 | 崇光天皇 | 1348~1351 | 押小路烏丸殿・京都御所 | |
北4 | 後光厳天皇 | 1352~1371 | 京都御所 | |
北5 | 後円融天皇 | 1371~1382 | 京都御所 | |
100 | 後小松天皇 | 1382~1412 | 京都御所 | 北6→100 |
101 | 称光天皇 | 1412~1428 | 京都御所 | |
102 | 後花園天皇 | 1428~1464 | 土御門高倉殿・土御門殿・一条東洞院殿 | |
103 | 後土御門天皇 | 1464~1500 | 康正度内裏 (京都御所)・室町第 | |
104 | 後柏原天皇 | 1500~1526 | 京都御所 | |
105 | 後奈良天皇 | 1526~1557 | 京都御所 | |
106 | 正親町天皇 | 1557~1586 | 京都御所 | |
107 | 後陽成天皇 | 1586~1611 | 土御門東洞院殿 |
北山文化・東山文化
室町時代は、義満の時代と義政の時代に特徴的な文化が栄え、北山文化・東山文化と呼ばれることがある。南北朝時代の活力が背景にあり、3代将軍義満の時代(北山文化)は中央集権的で公家文化と武家文化の影響や中国文化の影響があるのに対し、8代将軍義政の時代(東山文化)は庶民的で「わび・さび」という禅宗などの影響が強いのが特色といわれる。応仁の乱での京都の荒廃を機に地方伝播し、惣村や都市の発達により成長していた庶民にも文化が浸透していった。
室町時代後期、戦国時代になると城郭建築が発展する。初期のものは戦争のための軍事施設としての用途が主目的であったが、領国が広がるにつれ豪壮華麗になっていく。鎌倉時代には寺社のみで使用されていた瓦が城郭に使われるようになり、やがて町屋にも広がることとなった。同時に茶の湯・能楽・書院造など今日、文化の原型と考えられているものがこの時代に確立された。