日本服飾史日本服飾史

  1. HOME
  2. 色彩と文様
  3. 移菊

移菊

移菊1枚目

10月18日は「残菊の宴」が催された日、です。

『古今著聞集』
天暦七(953)年十月十八日、殿上の侍臣左右をわかちて、おのおの残菊を奉りけり、主上(村上天皇)清涼殿東の孫庇南の第三間に出御、王卿東の簀子に候。仰に云、延喜十三年侍臣献菊、かの日只左衛門藤原定方一人候、仍不相分左右、至于今日数人已候、可二相分一とて、右大臣(藤原師輔)大納言源朝臣(高明)、参議師氏朝臣三人を左方とす。大納言藤原朝臣、左衛門頭藤原朝臣二人を右方とす。左菊いまだ仰かうむらざるさきに弓場殿にかきたつ。其後召によりて御前の東庭にまゐる。洲浜に菊一本をうゑたる、蔵人所衆六人してこれをかく。仁寿殿の西の砌にしの辺に、兵衛府の円座一枚をしきて、殿上の小舍人一人矢三をもちて候。洲浜の風流さまざまなり。

この文章の以下を読みますと、ほぼ九月九日の宴と同じような内容です。その後、残菊の宴は、10月5日に固定されたようです。

『公事根源』(一條兼良・室町中期)
残菊宴 (十月)五日 昔菊花ゑんは九月九日にて、又残菊のえんとて、十月五日に行はれし也。是も群臣詩を作、酒をたまふ事重陽におなじ。

重陽の宴とほぼ同じ、と。しかし平安時代にはなかなか豪快な酒の肴があったようです。やはり10月18日ですが……

『河海抄』(四辻善成・室町前期)
延喜廿(920)年十月十八日。権中納言藤原朝臣着小鳥於菊枝立階前奏云船木氏有進(御贄)

菊の枝に小鳥をぶら下げており、これをアテにお酒を飲んだようですね。ぶるぶる。
画像は、重ね色目の「移ろい菊」2種と、実際の残菊。
白菊は霜にあうと霜焼け現象で紫色に変化します。これを「移ろい菊」と呼び、平安の大宮人たちは、普通の白菊よりも風情を感じたようです。

『古今和歌集』(紀貫之)
秋をおきて 時こそ有けれ菊の花
うつろふからに 色のまされば

『夫木抄』(式子内親王)
むらさきの うつろふ八重の菊に又
白き上着と みゆる初雪

『後拾遺和歌集』(藤原義忠)
紫に やしほ染めたる菊の花
うつろふ花と 誰かいひけん

重ね色目「移菊」は2種。『雁衣抄』の表薄紫・裏青と、『山科家説』の表白・裏紫。どちらも品がありますねぇ。

(有職故実研究家 八條忠基さん Facebook投稿より)