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こわ装束となえ装束

公家の装束は、平安時代の末期に大きな転換期を迎えました。

それまでの「柔装束」から「強装束」への転換です。強装束とは、強ばった直線的な姿の公家の服装をいいます。対して、「柔装束」は柔らかい曲線的な服装でした。
南北朝時代に公家の北畠(きたばたけ)親房(ちかふさ)(1293~1354)が記した『神皇(じんのう)正統記(しょうとうき)』によると、鳥羽上皇の時代に装束の硬化が行われたとあります。

それまでの平安貴族は、柔らかな曲線を描く、緩やかなフォルムを好んでいました。しかし平安末期、鳥羽上皇は装束の生地を厚くしたり、糊をきかせたりすることで、かっちりした姿を好み、「衣紋道の祖」と呼ばれる源有仁とともに威儀正しい装束を考案しました。

強装束と柔装束の違い

1. 布地

『聖徳太子絵伝』(東京国立博物館蔵)
『伝源頼朝像』(神護寺蔵)

平安末期以前の装束は「柔装束」、ゆったりと柔らかいものでした。私達が平安時代と聞いて一番に想像する『源氏物語』の世界も、人々は柔装束を着用していました。しかし、それがどんな装束であったのか、実はよくわかっていません。かろうじてその姿を知る手がかりが、当時描かれた絵画に残されています。

『聖徳太子絵伝』(東京国立博物館所蔵)は、飛鳥時代に生きた聖徳太子の事績を描いたものです。その成立は平安中期であるため、そこに描かれた人物の姿は平安時代のものとなっています。『聖徳太子絵伝』に描かれている服装は、柔らかで曲線的な「柔装束」です。

対して「強装束」は、厚めの布地や糊を張ってこわばった生地を使って仕立てたものでした。これにより服装は直線的でかっちりとした姿となりました。張りには、地質の裏だけを糊張りにした片面張りと、裏表ともに厚く糊張りした両面張りがありました。また、強装束の加工の工夫として「板引」があります。板引は、砧で打たずに艶と張りを持たせる加工法です。漆塗りの板に、胡桃油に蝋を塗り、糊を刷いて絹・綾を張り、乾燥して剥がすと、砧で打ったような光沢のある固地となります。板に張って行うため、板引と呼ばれます。

強装束では、上衣から下衣まで、全体に固地のものが使われるようになりました。

2. 冠

装束の硬化に伴い、冠も硬化がはかられました。
柔装束であった頃の冠には、纓壺はなく、巾子から直接纓が垂れていました。そして簪は左右からそれぞれ差し込むものでした。
対して、強装束の冠には纓壺があります。これは、冠の纓にも漆を張り固くしたため、纓を結び垂らすことができなくなったため、分離を図ったためです。纓壺に纓を差し込み、纓はそのまま垂れるのではなく、一度上に上がってから垂れる形式のものとなりました。簪は片方から一本で貫きます。
また、柔装束の冠の纓は二枚垂れ下がっていましたが、強装束の纓は二枚をとめ、一枚に見えるようにしました。

3. 着装

柔装束から強装束への転換によって変わったものの一つに、「衣紋道」の成立があります。
衣紋道とは、装束の着付け方のことです。柔装束を用いていた頃には自分で着ることができていたため、衣紋道はありませんでした。しかし、張りが強くごわごわした強装束になると、自分一人での着用が難しくなり、美しく威儀を整えた形で着装するためには特別な技術が必要になりました。そこで成立したのは衣紋道です。
衣紋道を考案したのは、鳥羽上皇とともに強装束を考案した源有仁です。衣紋道は現在も高倉流と山科流に受け継がれています。

4. 下襲・石帯・太刀の平緒

強装束となり、着装上の便宜から、下襲と石帯、太刀の平緒が改造されました。
下襲は後身の裾の腰から下を切り離して別裾とし、白絹の腰をつけて、下襲の上をつけてから改めて着用することとしました。
石帯は、従来は一本の形状だったものを、着装上の簡便化のために二分しました。本帯と上手に分けて、紐で本帯と上手をつなぎ、余りの上手の先端を本帯に差し込むことにより、外見は一本の石帯と同様の形状としました。
太刀の平緒は、長い組緒を体裁良く結ぶ面倒さを省いて簡単にするために、余りの垂れる部分を切り離して別にしました。これを切平緒といいます。対して、従来の一本の平緒を続平緒といいました。

5. 小袖

強装束になり、全体に固地が使用されるようになると、冬の防寒用として着用された衵では、固地の広袖では隙間風を防げなくなったため、肌着として袖口の狭い小袖が採用されるようになり、単の下に着用するようになりました。

尤も、平安時代末期からすべての装束が柔装束から強装束に取って代わったわけではありません。強装束化した後も、柔装束は併存していました。
「打梨」は装束や烏帽子を打って柔らかくしたもので、「打梨の束帯」や「打梨の衣冠」などがありました。