裹頭をつけた山法師を弁慶と見れば、これはそれに対する五条大橋における牛若丸になぞらえた。
下げ髪で裾濃の括袴に水干を着籠めている。さらに衣を被って顔を隠し、手には五本骨の蝙蝠(紙張の扇)を持ち、太刀を佩び欄干の擬宝珠の上に飛び乗った所とした。水干はもと下級のものの平常着であったが、この頃は上流の童子等の服装ともなった。狩衣と同形であるが、頸かみに紐がつき結び合わせてとめ、括袴の中へ着籠めている。
また正面の衽の縫い目や、背面の袖付、奥袖と鰭袖の縫い目に生糸の菊綴をつけ、袖括りは毛抜の形に置いてある。