日本服飾史日本服飾史

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推古朝朝服

Courtier in regular court of the Suiko era (592-628).

推古天皇の頃の服装は其の形状は全く不明であった。旧法隆寺蔵の聖徳太子像も天武朝頃のものというのが通説となっていたが、昭和47年3月の高松塚古墳の発掘によって、太子御像は天武朝よりもさらに時代が下るものと考えられる。またこの発掘によってその壁画の姿より勘案すると、中宮寺の天寿国繡帳に表現されている服装は、推古朝の当時のものと考えてよいように思う。

聖徳太子を想定し、朱華即ち黄丹の冠、黄丹のとし、冠の縁との縁は萠黄の錦、は有長紐は白絹、下襲は白、は黄、表袴は萠黄綾、裏の紅で縁どっている。

イラストによる解説

イラスト1
  1. かんむり
  2. 冠のもとほり
  3. ほう
  4. 胸紐むなひも
  5. の縁
  6. 下襲したがさね内衣ないいそで
  7. 長紐ながひも
  8. らん
  9. の縁
  10. ひらみ
  11. 表袴うえのはかま
  12. 表袴の縁
  13. くつ
  14. しゃく

日本書紀には次のような記述がある

「推古天皇十一年十二月戊辰朔壬辰、初めて冠位を行う。大徳、小徳、大仁、小仁、大礼、小礼、大信、小信、大義、小義、大智、小智あわせて十二階、並びに当色の絁を以って縫えり 頂は撮総て嚢の如くし、縁を着けたり、唯元日に髻華を著す」
「十三年閏七月己未朔、皇太子、諸王諸臣に命じてを着せしむ」
「十六年秋八月辛丑朔癸卯唐客京に入る…中略…亦衣服は錦紫繡織及び五色の綾羅を用う(一に云く、服の色は皆冠の色を用う)」