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有職雛~宮廷文化を継承するひな人形

有職雛~宮廷文化を継承するひな人形1枚目

束帯姿の親王雛(大正時代)

こちらは京都丸平大木人形店の大正時代に作られた十号の小さな珍しい雛人形で、人形の高さは15cmほどです。纓の紛失や、傷みなどが見られますが、束帯姿の素晴らしい親王雛です。

「丸平大木人形店」は江戸の明和年間の創業で、丸平雛は艶やかな衣裳、美しい顔立ちで気品に溢れ、皇室関係にも数多く納められた雛人形です。良家の子女の憧れの雛人形だったそう。

有職に即した優美華麗な姿の「有職雛(ゆうそくびな)」をじっくり見ていきましょう。

雛人形の歴史

雛人形の起源は、古く縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪にまでさかのぼる事が出来ると言われますが、女子の節句として、全国で飾られるようになったのは江戸時代と言われています。

江戸時代の公武庶民を通じての年中行事の祝日は五節句(五節供)でした。
人日(じんじつ)の1月7日、上巳(じょうし)の3月3日、端午(たんご)の5月5日、七夕(たなばた)の7月7日、重陽(ちょうよう)の9月9日は季節の変り目で、それぞれ健康を祈る日でもあります。

3月3日の上巳は本来厄日ですが、「ひとがた」などを作り、水に流し厄を避けるという風習がありました。3月は丁度桃の花咲く頃で、平安朝以来女児の遊びとなっていた「ひいな遊び」(小さい人形を飾り遊びとしていた)と合体し,女児の健康な成長を願う行事として定着しました。

「ひいな」はサンスクリット語の小さいという意味を示す「ヒナ」が語源と思われます。室町時代に現在の雛人形の原形とも云える立雛があらわれ、江戸時代になって坐った姿の人形(寛永雛)が出来ました。男女一対の内裏雛を飾るだけの物でしたが、次第に華美で贅沢なものになっていき、江戸中期頃には大型の享保雛などが作られるようになりました。

等身大の享保雛
等身大の享保雛

この雛飾りは、江戸中期頃と云われる享保雛を「ひな」ではなく等身大で示しました。男雛の袍の前が特に異様なのは、中国清朝の袍などを見聞したことから取入れられたものではないかと思われます。享保雛の男雛の冠は垂纓で、女雛は天冠をかぶり、袿などには袖、衽、裾に綿が入れられ、男雛の袍と女雛の表着、袿などは通常同じ材質の金襴が使用されています。

しかし、江戸後期になると公家などで、有職の間違いを訂正し、宮中の雅びな装束を正確に再現した「有職雛」といわれるものが出来ました。民間では有職雛にならった「古今雛」が作られました。

雛人形の並べ方

日本は唐の影響のもと、飛鳥時代より、左は右よりも格が高い「左上座」という考えがあります。その為、向かって右側に男雛、左側に女雛を飾りました。
また、左側は太刀が抜きやすく、侍が敵意を示さないよう座るときは刀を右側に置いたという話もあります。

逆に西洋では「右上位」で、男性は右手で剣を持ち、左手で女性を守るために女性の右側に立ちます。このような西洋文化にならって明治時代に国際儀礼である「右上位」の考え方が取り入れられるようになりました。昭和天皇の即位式の時、洋装を着用されたことから『騎士道』に習い、「天皇が右、その左手側に皇后」並ばれたことから、関東を中心に男雛を向かって左側に飾るようになったと言われています。

現在でも京都では向かって右側に男雛を飾るのが一般的です。

男雛

  • 襟の蜻蛉頭の綴じ糸は高倉流の斜め十字(×)
  • 裾は石帯のなかに
  • 窠に霰の表袴
纓
左)文官の纓 右)天皇の纓

束帯は平安時代以降の天皇以下公家の正装で、この親王は雲立涌(くもたてわく)の黒の御袍(ごほう)()(あられ)表袴(うえのはかま)を履き、裾を石帯のなかに繰り込めて着装しています。雲立涌は蒸気が立ち昇り、雲がわき起こる様子を象っためでたい文様で、窠に霰の表袴は平安時代では若い人の用いる文様として、晴の儀式に用いられました。

襟の蜻蛉頭は高倉流の斜め十字(×)で綴じられ、平緒にもしっかりと刺繍が施されています。写真ではわかりにくいですが、公家の分銅鍔の太刀を佩いています。

残念ながら失われてしまった纓はどのような形だったのでしょうか。

女雛

  • 唐衣には鳳凰や鶴の刺繍
  • 前で結ばれた裳の引腰
  • 裾には綿が入れられている
檜扇
上)松に紅白梅 下)蝶鳥模様

唐衣には鳳凰や鶴の極めて日本的な文様の細かな刺繍が施されています。重ね袿には綿が入れられており暖かそうです。
裳を引き上げるのは江戸時代に再考された着装法です。(京都霊鑑寺に残っている十二単がその仕様となっています。)飾り紐も揚巻結びと菊結びが組み合わされてとても可愛らしいですね。

檜扇には山科流の松に紅白梅が描かれています。裏には蝶鳥模様。損傷が激しく糸も切れてしまっていますが、美しい飾り紐がついていたに違いありません。

日本の女帝の宝冠は詳しくはわかっておらず、中国の女帝がかぶるような形です。男雛の衣裳とは釣り合わないため横に置いております。