仏教の国教化、貴族化とともに寺院の勢力は増し、寺院自身武装した僧団をもつようになった。これ等は、山法師(比叡山延暦寺)、奈良法師(南都興福寺等)と呼ばれる僧兵のことで、後白河法皇ですら意のままにならぬのは、双六の賽と、鴨川の水と、山法師であるとまでいわれた。これは僧兵の姿で、白の五條袈裟を以って頭を裹んだ。裹頭という。法衣は墨の裳付、石帯(公家でいう当帯)で結び、白の括袴に白の脛巾、裳付の下には下腹巻という胴丸の鎧を着けている。足には足駄をはき、腰には革包の太刀、薙刀を持っている。
この裳付衣を宗団により墨の半素絹、また単に墨の素絹ともいい、また空衣(空袍)もこの形式に似ている。また南都では、僧兵は僧綱襟のついた重衣(襲)と呼ばれる墨染麻の裳付衣に、白麻の下襲をつけたものを着用している。
裹頭をつけた僧兵
Buddhist monk-soldier with katō hood.