京都に住んでいますとスクーターに乗って街を走って行かれるお坊さんの姿を見かけます。
また、朝には「オー」という声を出して、托鉢の若い修行僧の方が 町々を廻って来られます。京都駅では法衣の入った大きなカバンを持ったお坊さんもおられますし、夏の地蔵盆では町内の一角をあけてお地蔵さんをお祀りし、お坊さんにお越し頂きます。
お寺にお伺いすることなく、法事にお参りすることなくとも、この様に何かにつけてお坊さんの姿を拝見します。ここではそんなお坊さんの、お葬式で拝見するお姿ではなく、普段の装束を御覧いただき話をさせて戴こうと思います。
僧侶が身に着ける法衣
まず最初に、現在の日本仏教各派の法衣は大きく三つに分けることが出来ます。
その三つとは、一つに律衣(奈良仏教の衣)、一つに教衣(平安時代に出来る衣で裾に襞のあるもの)、一つに禅衣(鎌倉時代に大陸で流行する直綴と云う腰から下に襲のある衣)です。
本来、仏教の法衣は、三衣と呼ばれる、大衣・中衣・小衣の長方形の布を体賤、刀賤、色賤と云う三種類の方法と理念で衣裳とし、教団の装束としたものです。体賤とはボロ布の意で、ここから三衣は糞掃衣とも言います。刀賤は刀で切り刻む、色賤は濁色にする即ち袈裟にすることを意味します。
インドや中国大陸の福田の考え方や井田の思想によって切り刻まれた(:刀賤)お袈裟は、模様が縦横にきれいに図案化され、現在は五条袈裟、七条袈裟、九条袈裟としてよく使われています。
この三種は、もともと腰に巻く五条、体の上に着る七条、それらの上からまとう九条以上のものです。
それぞれが中国大陸や日本の官服と共に着用するに当たって形を変えてきたものです。
明治維新でそれまで共生していた神道と仏教が国家政策によって分断され、国家神道の終焉を東アジア・太平洋戦争での敗戦で迎え今年で57年になります。明治維新よりその間に政治の方針で僧侶の肉食、妻帯、蓄髪の禁がとかれ、同時に僧服以外の着用も許されました。俗人と僧侶の区別がつきにくくなると、僧侶のアイデンティティーを確立し外部に向かい堂々とその立場を主張するものが必要となります。その大いなるものの一つが法衣です。その意味では法衣は僧侶にとってより大切なものになってきました。
日本の各宗派別僧侶の法衣
では私たちが普段見かけるお坊さんの姿にその宗派を見てみようと思います。
お坊さんは御本尊に向かわれる時には七条袈裟以上のものを身に付けるのが本来あると思いますが、普段、人と会われたり動いたりされる時は五条袈裟をお召しになられます。
まず、五条・七条と云われる訳を説明致します。図1をご覧いただきますとお分かりいただけると思いますが、例えば五条袈裟では縦に数枚の布をつないだ筋(列)が5つあります。ここから五条となる訳です。仕立てる前はバラバラの布で、刀賤の理念が今も残っていてパッチワークとなっています。このお袈裟が基となって動きやすいもの・軽便なものが考案されてまいります。
図2は上座仏教の五条袈裟です。本来の五条袈裟に近いもので、腰に巻きつけて着用します。
図3は奈良仏教系で使われてる加行袈裟です。小さいですが形は五条袈裟そのものとなっています。
図4は絡子と呼ばれる禅宗で使われるお袈裟で、環が付いているのが特長ですが、付けないものを用いる人もいます。曹洞宗と臨済宗のお袈裟は、紐の太さの違い、首の裏に当たるところのしつけ糸で出来る模様の違いがありますが、実際には裏を見ないと見分けはつきません。
図5は威儀細といいます。図4と異なり環が付けられていません。浄土宗のお袈裟です。浄土宗のお袈裟のデザインには禅宗の様式が入っています。これに似たもので新儀の真言宗で考えられたものに小野塚五条があります。図6がそうです。
これらは最初にご覧いただいた五条袈裟の相似形、小ぶりのもので、首に掛け前に垂らします。
首に掛ける輪仕立ての法衣
次に首に掛けて着用し、輪に仕立て上げられているものを説明いたします。
図7は浄土真宗本願寺派の輪袈裟です。
このままでは分かりにくいですが、図8の様に拡げてみますと大きな五条袈裟に仕立てられていることが分かります。威儀(肩に掛ける布で出来た紐の事)の部分や小威儀の紐(これでお袈裟を結んで全体を筒状にします)で折り畳んだ五条の袈裟を結び留めた形になっています。
このことから畳袈裟とも呼ばれています。
真言宗で使われます折五条も図9の様に五条袈裟を畳んだものです。お寺のご紋や本山のご紋、卒業された学校のご紋が入っているものもあります。また、ご紋の入っていないものも多くあります。
修験道の方が着用される図10の梵天袈裟・結袈裟も、本来は九条袈裟を動き易く畳んだもので、梵天や金具で留める際にその留めを装飾として仏教的意味を込めたものだと思われます。
日蓮宗や法華宗などの宗派では図11の様に折五条を肩袈裟と言って肩からたすきに掛けられます。これは意外に思われるかも知れませんが牛若丸と弁慶の、あの弁慶が頭に被っているの白いものも五条袈裟です。図12にその着用の仕方を載せています。
この他に、もっと簡略にしたお袈裟もあります。天台宗の輪袈裟は折五条・畳袈裟のように見えますが、畳み込まれた五条を示す部分はなくなり、単に輪に仕立ててあるお袈裟です。梵字が折り込まれています。
また、真言宗では図13の様な半袈裟も使われます。これは信者の方も使われますので、お坊さんは柄・生地ともに凝ったものをお使いになられますが、袈裟としてはかなりの略式と云えると思われます。
浄土宗では同じようなものを伝導袈裟(図14)と言ってお使いになられます。
以上の様なお袈裟は黒い素絹や直綴、略装の改良衣や道服、布袍等をお召しになるときに着用されます。
色物のお衣をお召しになるときには本来の五条袈裟や七条袈裟、九条袈裟を着けて御本尊と相対されるようです。機会がありましたらお経と共にお坊さんの着ておられるお荘厳としての衣・袈裟をご覧下さい。
法衣の色
仏教の僧侶のアイデンティティーとして衣服の色が定められた。壊色、不正色が用いられ如法色即ち仏法にかなう色である。正色(青、黄、赤、白、黒)間色(紅、紫、碧、●黄、緑)以外の色で、カサーヤと言いここから袈裟という言葉が出てくる。銅の錆びた色。河の泥色。樹皮の色または鉄の錆びた、赤土の色。この三つの色である。これがインド北方より前漢末に伝わり東アジア地域で国家の理念と共に展開し、その中で僧服の色も変容していく。日本の法衣は大きく、律衣・教衣・禅衣の流れがあり教衣・禅衣は国家の司祭としての立場が表現されている。従って冠位十二階で定められたように国家の規定による色が重要なものとなる。現在の各宗派では、緋色を上位に定めている宗派、緋または紫を上位にもってくる宗派もあり多様である。深紫、浅紫、白、水色、黒、香、木蘭、墨、萌黄、黄色、浅黄、鳶色、紅香、藤色、鳶色、栗皮色や縦糸、横糸の色を変えて橡葉重、落葉重、青丹、松葉重などのように混色としたもの等が使われている。高貴な色としての黒が普段の衣として使われているのが現代らしい。社会と仏教の在りようが混然として原理主義でないことを感じさせる法衣の色である。