時宗は一遍上人(1239~1289)によって創始された浄土宗の流れをくむ念仏教団である。
しかし法然や親鸞の専修念仏とは異質のもので、日本固有の民族信仰を内蔵し、野性的な自然主義が見られる。
時宗の法衣は従来の中国的、また日本の貴族的な法衣を捨てて、庶民的な服装のなかに法衣を見出した。即ち式正の衣、裳の観念を排した裳なしの衣で、粗雑な繊維の故に網衣と呼ばれ、人の用いるものではないという意味から「馬ぎぬ」とも呼ばれたが、宗団の人はこれを阿弥衣と尊んだ。
墨の阿弥衣に墨の五條袈裟、墨の下襲、白の下着、墨の帯に白の手巾をかけ、手には数珠と人々に配る「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書かれた念仏の紙片を持っている。
着装の阿弥衣は、京都勧喜光寺に残る、元亀3年(1572)の有三上人依用の墨書のあるものの寸法を基準とした。
阿弥衣をつけた時宗の僧
Buddhist monk of Jishū Sect in ami-e robe.