江戸前期の貞享四年(1687)に行われた東山天皇の御即位式を描いた彩色の屛風絵に基づいて、紫宸殿と南庭の儀場および特別の装束をつけた諸役の人物や旛旗・鉦鼓などの器物などを、このたび四分の一大に復元いたしました。
飛鳥・奈良時代から幕末の孝明天皇まで続いてきた唐風の盛儀を、リアルに再現。高御座に着座の東山天皇をはじめ多数の人物や装束など、本物の素材で復元するには、多大な工夫と技術を要しました(株式会社井筒グループ作成)。その精巧な出来栄えもじっくりとご覧ください。
東山天皇御即位式
儀式の進行と模型解説 - 五島邦治
東山天皇は、霊元天皇の第四皇子として延宝三年(1675)9月3日にお生まれになりました。御名を朝仁親王とおっしゃいます。父君の寵愛を受け十三歳で父の跡を継ぎ、第113代天皇となられます。即位式は貞享四年(1687)4月28日、京都の内裏紫宸殿で行われました。当日の天候は曇りでしたが、ときどき太陽が雲間から覗く、まずまずの儀式日和でした。
この時の紫宸殿は東西五間(廂分を含めて実質七間)、南北三間(廂分を含めて五間)の、現在の京都御所の紫宸殿(安政年間に再建)よりは一回り小さいものでした。中央の間には天皇の御座、高御座が据えられます。高御座は漆塗りで周囲に朱塗りの高欄を廻らし、その壇上に八角形の黒塗りの屋形をおき、屋根の頂には鳳凰をのせています。さらに鏡や玉を飾り、錦の御帳が懸けられます。御座は二重の錦を敷いた上に畳二畳が敷かれ、その上に龍鬢の茵・大茵・小茵と重ねられています。
紫宸殿の南庭には、中央に銅烏幢とその左右に日像・月像の幢、さらに両側に四神の旗、纛が立てられ、文武百官が唐風の装束を着て整列します。
銅烏幢の上には黄金の三つ足の烏が載り、瓔珞が飾られています。日像幢の上には日をかたどった金漆塗りの円盤に烏が描かれ、月像の幢のほうは銀地の円盤に月桂樹と兎・蛙が描き込まれます。四神の旗は、いわゆる青龍・朱雀・白虎・玄武の旗です。金と銀の金物が輝き、旗は初夏の風にゆったりとはためいているようです。
紫宸殿の正面、南階の東西両側に植えられているのが、いわゆる左近の桜・右近の橘です。桜はもうすっかり葉桜になってしまいましたが、橘のほうは白い花が咲きはじめ、昔懐かしい香りをあたりに漂わせています。それぞれの木の南側に相対して胡床に座る三人は、近衛の次将(左右近衛府の次官である中将と少将)で、非常に備えて挂甲という儀礼用の華やかな鎧を着て、儀式を警固します。
儀式の進行を主導する内弁が紫宸殿の西、陣座と宜陽殿の間にある宣仁門から入って、右近の橘の南にある幄舎の兀子に座りました。いよいよ儀式のはじまりです。内弁は儀式の進行を主導する重要な役で、大臣クラスの官人が勤めました。今回は左大臣近衛基煕がその任に当たっています。幄舎は、現在に喩えるなら仮設のテントのようなもので、屋根および三面に青と白の幔幕が張り廻らせてあります。
高御座に進む天皇
天皇が即位の際に着用した礼服を冕服といい、冠に五彩の玉を貫いた糸縄を垂れた冕板を付け、衣には袞龍の文様があります。これは袞冕とも呼ばれ、これを着用した天皇が、清涼殿から筵道の上に敷かれた布毯を通って紫宸殿の背後から入御され、高御座の後方から登壇してお座りになりました。天皇の前に、ふたりの内侍が宝剣と神璽を携えて進みます。宝剣と神璽は皇室が代々伝えてきた神宝で、天皇の神権を象徴するものとして常に天皇の側 に置かれました。内侍は後宮十二司を監督する女官で、天皇の神事等に剣璽を持って従いました。ふたりの内侍は、剣と璽を所定の場所に安置すると、そのまま高御座の西側、後方の畳に座りました。
天皇が高御座にお座りになると、つづいて天皇を補佐する摂政の一条冬経が、高御座東北角にお座りになります。それ以前に、あらかじめ高御座の左右には、それぞれ褰帳命婦、威儀命婦が座っています。また親王代、擬侍従、少納言代らが所定の場所に唐風の礼服を着て、軾という敷物の上に立ちます。威儀命婦は威儀を添える女官で、三位以下五位以上のものが選ばれました。
新天皇の宣命、天に響く万歳
六人の執翳女嬬が両側から分かれて高御座の前に進み出、翳を前にさしかざします。翳は長い柄の先に唐風の団扇を付けたもので、これで貴人の顔を隠すのです。左手にも開けた檜扇を持っているので、とても華やかです。その間、左右二人の褰帳命婦が高御座の前面に懸かる御帳を両側から引き、八の字に開けます(実際は内侍所の刀自が行う)。執翳女嬬がさっと翳をはずすと、新天皇の若々しく凜としたお顔がはじめて現れます。庭上にいる文武百官もそのお顔を拝見して緊張するのでした。褰帳命婦はとくにたいせつな役目で本来は内親王が勤めますが、ないときは四位か五位の女王が奉仕し「褰帳女王」とよばれました。
主殿が南庭の正面中央に置かれたふたつの火爐に火をおこすと、図書の役人が香桶の蓋を開けて香をとり出し、進み出て火爐に香を入れ焚きます。これは空高く天帝にまで香の煙を届け、即位のことを知らせるためです。これを合図に典儀が「再拝」と唱えると、二人の賛者がこれを受けて唱え、つづいて群臣も一斉に「再拝」を唱えます。
宣命使の権中納言の東園基量が、版という、儀式の位置を示すためにあらかじめ置かれた木製の標識にまで進み出て、宣命を読みます。宣命は、まず奈良時代の元明天皇の即位が天智天皇の法に従ったことを述べ、みずからそれを継承して執政することを表明し、すべての臣下に天皇と朝廷の守護を呼びかけるものだそうですが、その声は広い空に拡散して、すべての人々に聞こえたわけではありません。武官が立ち「萬歳旛」を振るのを合図に、群臣も再拝し、拝舞し、そして万歳を斉唱するのでした。その声は天に響いてどよめきました。
動画で見る『東山天皇即位式屏風』
模型の製作について
東山天皇即位式の模型は、風俗博物館の六條院寝殿造四分の一模型で経験の豊富な(株)井筒グループが製作を手がけました。
今回展示されている「東山天皇御即位式図屛風」(№1)を中心に、文献史料としては『基煕公記』など多くの資史料・模型も参考にして再現されたものです。
京都では伝統的に小規模で専門的な職人の分業によって、それを組み合わせた装束や調度品が作られてきました。
今回もそうした個々の専門職の協力と総合力によって模型が完成されています。
細部にも行き届いた職人の技をご覧ください。